螺旋階段(別館)
廃墟と旅。古びた建物大好き!
空飛ぶ金魚
英検準2級合格
◎当ブログ初めての方はお読み下さい >> 『自己紹介』
英検準2級、合格しました。

1次試験は、72点/75点(100点満点で言うと、96点)
2次試験は、24点/33点(100点満点で言うと、約73点)
1次は、過去問を1回解いてみた時に合格できそうだったんで、特に英検に向けての勉強はしませんでした。
2次は、不安で不安で、CD付きのテキストも買って一生懸命練習したんだけど、かなりいまひとつな点数でした。
1次は、選択肢の中から選ぶ形式だからねー。雰囲気で解けちゃうんだよな。
2次は、英語で聞かれたことに英語で答えなくちゃいけないから…。やっぱ、英語で話すのはムズいっす。
2級を受験できる日は、果たして来るだろうか…。
準2級を受ける前、2級1次の過去問解いてみたけど、全然ダメだったんだよなぁ。
まず1次に受かるために相当努力しなくちゃダメだろうし、1次が受かる実力がついたとしても、準2級の2次がこの程度じゃ、2級の2次なんて到底無理だな…。
ま、気長にやりますわ。
それか、途中で挫折しますわ(笑)
とりあえず、準2級に合格できたことが、うれしい。
がんばったぜ、私!いやっほぅ!
英検準2級、合格しました。

1次試験は、72点/75点(100点満点で言うと、96点)
2次試験は、24点/33点(100点満点で言うと、約73点)
1次は、過去問を1回解いてみた時に合格できそうだったんで、特に英検に向けての勉強はしませんでした。
2次は、不安で不安で、CD付きのテキストも買って一生懸命練習したんだけど、かなりいまひとつな点数でした。
1次は、選択肢の中から選ぶ形式だからねー。雰囲気で解けちゃうんだよな。
2次は、英語で聞かれたことに英語で答えなくちゃいけないから…。やっぱ、英語で話すのはムズいっす。
2級を受験できる日は、果たして来るだろうか…。
準2級を受ける前、2級1次の過去問解いてみたけど、全然ダメだったんだよなぁ。
まず1次に受かるために相当努力しなくちゃダメだろうし、1次が受かる実力がついたとしても、準2級の2次がこの程度じゃ、2級の2次なんて到底無理だな…。
ま、気長にやりますわ。
それか、途中で挫折しますわ(笑)
とりあえず、準2級に合格できたことが、うれしい。
がんばったぜ、私!いやっほぅ!
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- トイレが好き (2012/12/16)
- 英検準2級合格 « «
- 旅好きの人、仕事どうしてる? (2012/11/08)
Posted on 23:16 [edit]
category: 文書メイン
旅好きの人、仕事どうしてる?
旅0015_初海外@インドネシア
◎当ブログ初めての方はお読み下さい >> 『自己紹介』
私が行った最初の海外旅行の話をしようか。
あれは、私が学生だった頃。
友達に誘われて、2人でインドネシアに行った。
その時私が何年生で、何日間の旅で、どこに泊まったのか、詳しいことは覚えていない。
多分、5日か1週間。それくらいの旅だったと思う。
ただ、泊まったホテルにプールがついていたこと、プールがついているのに全然高級じゃなくて、シャワーが屋外で水しか出なかったこと、でもベッドは高級っぽかったこと(天蓋とか付いてたかも)、部屋の中にも余裕でヤモリが出たこと、そのヤモリが鳴いたこと、ホテルの朝食が毎朝バナナと紅茶だったこと、ホテルや町のあちこちに神様へのお供え物が美しく飾られていたことなど、宿についての色々なことは、なぜだか鮮明に覚えている。
バリ島に行ったんだと思ってたけど、ボルブドール遺跡に行ったような覚えがあるので、ジャワ島に行ったのかな?
それとも両方行ったんだったか…。
お寺の遺跡を見て自分がどう感じたのかは、なぜだかちっとも思い出せない。
私好みの場所であるような気もするし、そうでもないような気もする。
いつかまた、インドネシアに、それを確認しに行く機会があるかな…。
遺跡に行ったのはその旅においてスペシャルなイベントで、後は、地元のスーパーマーケットを覗いたり、道端に座り込んで行き交う人を眺めたり、声をかけてきた地元の人のバイクに乗せてもらったり、海に行ったり、特に目的も無くふらふらしていた。
ある意味、すごく贅沢な旅。
ああ、でも、他にもいくつかイベントがあったな。
踊りを見た。女性の首や目や手の独特な動きを、覚えている。
あと、ガムランの演奏を聞いたり、ガムランを触らせてもらったりした。
その土地固有の楽器に触れることができるのは、私にとっては ものすごい喜び。
特にガムランの音色や曲調は気に入り、日本に帰ってからガムランの曲が入ったCDをレンタルだか買ったのを覚えている。
ガムランにもいろんな種類があるみたい。
検索して出てきた画像を見たところ、私が触らせてもらったのは、レヨンという種類みたいだ。
丸い蓋付きのお鍋みたいなのが、いくつも並べてある。
ひとつひとつ叩いて音階を確認し、つっかえながら曲をつむぐ。
今までの旅行の中でも特に印象に残るほどに、それはそれは楽しい経験だった。
現地の楽器は楽しめたけど、現地の食べ物が全然食べられなくて苦労した。
(この時はインドネシアの食べ物が合わないのかと思ったけど、その後いろんな国を旅して、どこの国の食べ物も、たいてい食べられないことが判明した。)
でも、一度だけ、チキンカレーがすごくおいしかった。
「辛いよ。めちゃ辛だよ。」みたいなことを店員さんが言うのでドキドキしながら食べたら、全然辛くなかった(笑)
からかわれたのか、インドネシアの人は辛いものが苦手なのか、どっちだったのかな。
どっちにしても、インドネシアのチキンカレーは、私にとっていい思い出だ。
インドネシアでは、女が働き者で、男はぶらぶらしている者が多かった。
結果、男の人と話す機会が多かったように思う。
現地の人とは、英語で話した。
私にとって初めての、英語での対話だったと思う。
しかも、特に用があるわけでもなく、ただの雑談も。
人と関わらず、急いで旅をするようになった今では、考えられないことだな。
相手の言うことを理解したいと思って集中して聞くと、相手の言うことがわかる。
けど、「話すの面倒だな。」と思うと、途端に通じなくなる。
言葉っておもしろいなって、そう思った。
買ったものも、いくつか印象に残っている。
紫と緑に塗り分けられた猫の置物。
絵の下に名前を彫ってもらった、オーダーメイドのゴム印。
質の悪い、ザラザラした紙質のメモ帳。
バティックという、インドネシアの布も買ったな。
バティックは少々高かったので、値引きしてもらおうとがんばってみたけど、結局あんまり安くしてはもらえなかった。
でも、夜空の天の川のようなその布を、買ってよかったと今でも思ってる。
今、その布がどこにあるのか、わからないけどね(爆)
トイレも、印象に残っている。
トイレットペーパーが無く、手桶が置いてあった。
手桶で水を汲んで、お尻を洗う。そういうタイプのトイレだったと思う。
トイレの個室で水浴びをしたらしき人が個室から出てきた時は、驚いたw
デジカメなんて、無かった時代の旅。
カメラ自体、持って行ったかどうか、覚えていない。
友達が撮ってくれた写真が、とても素敵だったのは覚えている。
フィルムで撮った写真を現像して、何枚か私にもくれた。
今思えば、私はその友達の後を追いかけているのかもしれない。
才能と行動力と自由に満ちたその友達に、憧れているという自覚が当時は無かったが、もしかしたら憧れていたのかも。
二十年も経った今、私は友達の行動をなぞるように、旅に出て写真を撮る。
私が行った最初の海外旅行の話をしようか。
あれは、私が学生だった頃。
友達に誘われて、2人でインドネシアに行った。
その時私が何年生で、何日間の旅で、どこに泊まったのか、詳しいことは覚えていない。
多分、5日か1週間。それくらいの旅だったと思う。
ただ、泊まったホテルにプールがついていたこと、プールがついているのに全然高級じゃなくて、シャワーが屋外で水しか出なかったこと、でもベッドは高級っぽかったこと(天蓋とか付いてたかも)、部屋の中にも余裕でヤモリが出たこと、そのヤモリが鳴いたこと、ホテルの朝食が毎朝バナナと紅茶だったこと、ホテルや町のあちこちに神様へのお供え物が美しく飾られていたことなど、宿についての色々なことは、なぜだか鮮明に覚えている。
バリ島に行ったんだと思ってたけど、ボルブドール遺跡に行ったような覚えがあるので、ジャワ島に行ったのかな?
それとも両方行ったんだったか…。
お寺の遺跡を見て自分がどう感じたのかは、なぜだかちっとも思い出せない。
私好みの場所であるような気もするし、そうでもないような気もする。
いつかまた、インドネシアに、それを確認しに行く機会があるかな…。
遺跡に行ったのはその旅においてスペシャルなイベントで、後は、地元のスーパーマーケットを覗いたり、道端に座り込んで行き交う人を眺めたり、声をかけてきた地元の人のバイクに乗せてもらったり、海に行ったり、特に目的も無くふらふらしていた。
ある意味、すごく贅沢な旅。
ああ、でも、他にもいくつかイベントがあったな。
踊りを見た。女性の首や目や手の独特な動きを、覚えている。
あと、ガムランの演奏を聞いたり、ガムランを触らせてもらったりした。
その土地固有の楽器に触れることができるのは、私にとっては ものすごい喜び。
特にガムランの音色や曲調は気に入り、日本に帰ってからガムランの曲が入ったCDをレンタルだか買ったのを覚えている。
ガムランにもいろんな種類があるみたい。
検索して出てきた画像を見たところ、私が触らせてもらったのは、レヨンという種類みたいだ。
丸い蓋付きのお鍋みたいなのが、いくつも並べてある。
ひとつひとつ叩いて音階を確認し、つっかえながら曲をつむぐ。
今までの旅行の中でも特に印象に残るほどに、それはそれは楽しい経験だった。
現地の楽器は楽しめたけど、現地の食べ物が全然食べられなくて苦労した。
(この時はインドネシアの食べ物が合わないのかと思ったけど、その後いろんな国を旅して、どこの国の食べ物も、たいてい食べられないことが判明した。)
でも、一度だけ、チキンカレーがすごくおいしかった。
「辛いよ。めちゃ辛だよ。」みたいなことを店員さんが言うのでドキドキしながら食べたら、全然辛くなかった(笑)
からかわれたのか、インドネシアの人は辛いものが苦手なのか、どっちだったのかな。
どっちにしても、インドネシアのチキンカレーは、私にとっていい思い出だ。
インドネシアでは、女が働き者で、男はぶらぶらしている者が多かった。
結果、男の人と話す機会が多かったように思う。
現地の人とは、英語で話した。
私にとって初めての、英語での対話だったと思う。
しかも、特に用があるわけでもなく、ただの雑談も。
人と関わらず、急いで旅をするようになった今では、考えられないことだな。
相手の言うことを理解したいと思って集中して聞くと、相手の言うことがわかる。
けど、「話すの面倒だな。」と思うと、途端に通じなくなる。
言葉っておもしろいなって、そう思った。
買ったものも、いくつか印象に残っている。
紫と緑に塗り分けられた猫の置物。
絵の下に名前を彫ってもらった、オーダーメイドのゴム印。
質の悪い、ザラザラした紙質のメモ帳。
バティックという、インドネシアの布も買ったな。
バティックは少々高かったので、値引きしてもらおうとがんばってみたけど、結局あんまり安くしてはもらえなかった。
でも、夜空の天の川のようなその布を、買ってよかったと今でも思ってる。
今、その布がどこにあるのか、わからないけどね(爆)
トイレも、印象に残っている。
トイレットペーパーが無く、手桶が置いてあった。
手桶で水を汲んで、お尻を洗う。そういうタイプのトイレだったと思う。
トイレの個室で水浴びをしたらしき人が個室から出てきた時は、驚いたw
デジカメなんて、無かった時代の旅。
カメラ自体、持って行ったかどうか、覚えていない。
友達が撮ってくれた写真が、とても素敵だったのは覚えている。
フィルムで撮った写真を現像して、何枚か私にもくれた。
今思えば、私はその友達の後を追いかけているのかもしれない。
才能と行動力と自由に満ちたその友達に、憧れているという自覚が当時は無かったが、もしかしたら憧れていたのかも。
二十年も経った今、私は友達の行動をなぞるように、旅に出て写真を撮る。
Posted on 22:52 [edit]
category: インドネシア
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