螺旋階段(別館)
廃墟と旅。古びた建物大好き!
旅0024_チェルノブイリ博物館
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原発事故に関する、ウクライナ国立の博物館。
目に見えない放射線と対照的に、視覚に訴える奇形の犬の展示が印象的。

原発事故に関する、ウクライナ国立の博物館。
目に見えない放射線と対照的に、視覚に訴える奇形の犬の展示が印象的。
チェルノブイリについて、行ったからには いつかは書こうと思ってた。書くことが、行った者の義務だと思ったから。
でも、なかなかその気になれなかった。
廃墟や行った場所について、私は歴史や背景をあまり語らない(語れない)。
けれど、スルーしてしまうわけにはいかないと思える場所もある。ここ、チェルノブイリのように。
スルーできないけど、うまく書ける気もせず、避けてきた。
けどまあ、このブログやサイトを見てくれてる方はどうせほんの少しだし、そんなに気負わなくてもいいかなーって思って、今回、記事を書いてみます。

1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所で事故が起こった。
その事故についての展示がある、ウクライナ国立チェルノブイリ博物館。
キエフの街中にあります。

階段の頭上には、放棄された集落の名を記した標識が並んでいる。(wikiより)
裏から見ると、赤の斜線で地名が消されていた。
住むことが許可されていない地域にも、住み続けている人はいるという。

足が2対ある、奇形の犬。
奇形って、ショッキングで、見た人に訴えかけるものが大きいよね。
放射線が目に見えないのと、対照的。

ぬいぐるみを満載したゴンドラ。
事故で犠牲になった子ども達のためのものなのかな。

放射能を測る機械だったと思う。
中に人が入って、汚染されて無いかどうか調べる。
写真がブレてるのは、ビビってるからでは無く、室内で光が足りなかったから。

事故によって廃墟になった場所などの写真。

雨合羽のような防護服。
私の記憶が正しければ、こんな服を着ただけで、体に害があることも知らされず、事故の処理をさせられた人がたくさんいたはず。

チェルノブイリ原発の事故処理作業員や周辺住民から1987-1988年に生まれた子供を1996年に撮影した写真による展示。
みな健康上の問題があり、現在、子をもうけた者も死亡した者もある、と説明されている。(wikiより)

特徴的な天井の展示。
なんとなく宇宙遊泳っぽい。
なんだろ。消防隊の活躍を表してるのかな??

幻想的に飾られた写真たち。

チェルノブイリ救援のために日本で作られたちらし(ポスター?)。
1995年ってことは、事故の9年後だね。
「チェルノブイリへ汚染されていないミルクを」と書かれている。
ちらしの作成者特定非営利活動法人 チェルノブイリ救援・中部は、1990年に発足し、未だに活動を続けているようです。
他にも、『プロジェクトX 挑戦者たち チェルノブイリの傷 奇跡のメス』という番組で、事故の影響で甲状腺ガンになったベラルーシ(ウクライナの北の国)の子ども達のために手術で活躍した菅谷昭医師を知った。
チェルノブイリ救援のためにがんばった日本人がいることは、日本人として誇らしい。
私は何もしてないけど。

右側のガラスと陶器は、がいしっていうものらしい。ちょっときれい。
電線とその支持物とのあいだを絶縁するために用いる器具。(wikiより)
がいしの後ろの絵は、どんな意味があるのかな。

事故処理で用いられた車両。(wikiより)
博物館の外に展示してある。
私にしてはがんばって説明してみたけど、うーん、どうだろ。内容薄いなぁ(^^;
行く前や行ってから、本を読んでみたり映画を見てみたり、私なりにチェルノブイリについて勉強しようとしてみた。
けど、なかなか身に付かないんだよなぁ…。
ポンコツな頭がうらめしいです。
もしこの記事を見てチェルノブイリに興味を持ってくださった方がいらしたら、ぜひご自分でいろいろ調べてみてください。
これから、チェルノブイリ周辺の廃墟なんかの記事をUPすることがあると思うけど、もう、説明的なことは殆ど書けないと思います。
ただ写真を載せていくだけ。そんな感じの更新になる予定。(それも、続けて更新せず、他の記事に混ざって、不定期に。)
なにしろ、建物の名前からして、わからないから(^^;
写真を見て、「うーん、この建物とこの建物は同じなんだっけ?別なんだっけ?」とか悩んでます。
間違いを発見した方は、ご指摘下さい。チェルノブイリ関連に限らず、いつでも。情報お待ちしてます。
▼スライドショー▼

でも、なかなかその気になれなかった。
廃墟や行った場所について、私は歴史や背景をあまり語らない(語れない)。
けれど、スルーしてしまうわけにはいかないと思える場所もある。ここ、チェルノブイリのように。
スルーできないけど、うまく書ける気もせず、避けてきた。
けどまあ、このブログやサイトを見てくれてる方はどうせほんの少しだし、そんなに気負わなくてもいいかなーって思って、今回、記事を書いてみます。

1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所で事故が起こった。
その事故についての展示がある、ウクライナ国立チェルノブイリ博物館。
キエフの街中にあります。

階段の頭上には、放棄された集落の名を記した標識が並んでいる。(wikiより)
裏から見ると、赤の斜線で地名が消されていた。
住むことが許可されていない地域にも、住み続けている人はいるという。

足が2対ある、奇形の犬。
奇形って、ショッキングで、見た人に訴えかけるものが大きいよね。
放射線が目に見えないのと、対照的。

ぬいぐるみを満載したゴンドラ。
事故で犠牲になった子ども達のためのものなのかな。

放射能を測る機械だったと思う。
中に人が入って、汚染されて無いかどうか調べる。
写真がブレてるのは、ビビってるからでは無く、室内で光が足りなかったから。

事故によって廃墟になった場所などの写真。

雨合羽のような防護服。
私の記憶が正しければ、こんな服を着ただけで、体に害があることも知らされず、事故の処理をさせられた人がたくさんいたはず。

チェルノブイリ原発の事故処理作業員や周辺住民から1987-1988年に生まれた子供を1996年に撮影した写真による展示。
みな健康上の問題があり、現在、子をもうけた者も死亡した者もある、と説明されている。(wikiより)

特徴的な天井の展示。
なんとなく宇宙遊泳っぽい。
なんだろ。消防隊の活躍を表してるのかな??

幻想的に飾られた写真たち。

チェルノブイリ救援のために日本で作られたちらし(ポスター?)。
1995年ってことは、事故の9年後だね。
「チェルノブイリへ汚染されていないミルクを」と書かれている。
ちらしの作成者特定非営利活動法人 チェルノブイリ救援・中部は、1990年に発足し、未だに活動を続けているようです。
他にも、『プロジェクトX 挑戦者たち チェルノブイリの傷 奇跡のメス』という番組で、事故の影響で甲状腺ガンになったベラルーシ(ウクライナの北の国)の子ども達のために手術で活躍した菅谷昭医師を知った。
チェルノブイリ救援のためにがんばった日本人がいることは、日本人として誇らしい。
私は何もしてないけど。

右側のガラスと陶器は、がいしっていうものらしい。ちょっときれい。
電線とその支持物とのあいだを絶縁するために用いる器具。(wikiより)
がいしの後ろの絵は、どんな意味があるのかな。

事故処理で用いられた車両。(wikiより)
博物館の外に展示してある。
私にしてはがんばって説明してみたけど、うーん、どうだろ。内容薄いなぁ(^^;
行く前や行ってから、本を読んでみたり映画を見てみたり、私なりにチェルノブイリについて勉強しようとしてみた。
けど、なかなか身に付かないんだよなぁ…。
ポンコツな頭がうらめしいです。
もしこの記事を見てチェルノブイリに興味を持ってくださった方がいらしたら、ぜひご自分でいろいろ調べてみてください。
これから、チェルノブイリ周辺の廃墟なんかの記事をUPすることがあると思うけど、もう、説明的なことは殆ど書けないと思います。
ただ写真を載せていくだけ。そんな感じの更新になる予定。(それも、続けて更新せず、他の記事に混ざって、不定期に。)
なにしろ、建物の名前からして、わからないから(^^;
写真を見て、「うーん、この建物とこの建物は同じなんだっけ?別なんだっけ?」とか悩んでます。
間違いを発見した方は、ご指摘下さい。チェルノブイリ関連に限らず、いつでも。情報お待ちしてます。

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Posted on 23:16 [edit]
category: ウクライナ
thread: 美術館・博物館 展示めぐり。 - janre:学問・文化・芸術
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