螺旋階段(別館)
廃墟と旅。古びた建物大好き!
廃墟と動物の死体
廃墟に行った。
ひととおり見終わって帰ろうとした時、何か嫌な匂いを感じた。
「何かが死んでたりして…。もしかして私、踏んじゃった?」なんてちょっと怯えつつ、草ボーボーだったので特に探しもせず、その廃墟を後にした。
別の廃墟に行った。
さっきと同じ匂いを感じて、周囲を見回してみた。
小犬か猫の死体が箱に入れられ、布がかけられているのを見つけた。
顔は見えなかったが、やわらかそうな茶色い毛の生えた前足の一部が見えた。
写真を撮ろうかどうしようか少し考えて、そしてやめた。
廃墟で動物の死体を見かけることは、結構多い。
最初の頃はためらったが、いつの日か、死体の写真を撮ることに慣れていった。
それがどうして今回、撮らなかったのか。
それは、その死体に、人の手が加わっていたからだ。
死んだ動物を、箱に入れて布で覆った人がいる。
それをした人の存在や、死体に対する思いみたいなものが感じられた気がして、写真を撮ることをためらった。
「人の手が加わっているから撮るのをやめたっていうのは、なんかおかしいよね。」
そんな風に、人から言われた。
確かに。
死体は死体。同じものなのにね。
最初の匂いも死体かもしれないので、「人間の死体じゃないといいな…」って言ったら、それについてもおかしいよねって言われた。
確かに。
人間でも動物でも、同じ命なのにね。
私は普段、人の命の方が重いなんてあんまり思ってないのに、それでも今回の心の動きをみると、人の方を重く考えている。
なんか不思議。
まあ、人間の死体を見つけたくないというのは、厄介ごとに巻き込まれたくないという気持ちも、含まれているんだけど。
自分と同じ種族のいきものの死体を見るのが嫌という、いきものの本能的な心の動きでもあるのかもしれない。
次に動物の死体に出会ったら、その時は誰かによって丁寧に葬られた死体であっても、写真を撮ると思う。
覆っている布をはぐようなことはしないけれど、見える部分だけを見えたままに撮る。
撮ることによって自分が何をしたいのかは、自分でもわからないけれど。
でも、撮りたいんだ。
私は死体を見かけた時、とりあえず手を合わせたり、場合によっては お経を唱えるようにしている。
せっかく出会ったのも何かの縁なので、安らかに眠って欲しいという気持ちが半分と、怖いという気持ちが半分。
自己満足だとは思うけど、自己満足したいからいいのだ。
いやしかし、夏は暑いね。
Posted on 23:08 [edit]
category: 文書メイン
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2012
07/29
Sun.
08:15
猫パパ | URL | edit
根っからやさしいいんだね
なかなかいないですよ
ある寂れた街のスーパーじいちゃん(手のパワーで病気を治す有名な方)に聞いた話だけど廃屋もね、入るときはお邪魔しますとか思いながら入るといいそうだ帰りもありがとうございましたというと変なものがとり付いてこないだそうだよ なんぼ廃屋だからといってどかどか入って写真バチバチ撮るのは誰もいなくても失礼だよね なんでも感謝の気持ちは大切だよ(^_^)/
2012
07/29
Sun.
10:41
塔子 | URL | edit
>猫パパさん
私はやさしい人じゃないので、「やさしい」って言ってもらうと、ちょっと居心地が悪い(笑)
やさしいってのは違う気がするけど、なるべく礼は尽くすように努力してます。
「おじゃまします」と「ありがとうございました」は、私も廃墟に入る時によく口にしているよ。
口に出さない時も、心の中で言うようにしてる。
ほんと、今は誰もいないけれど、廃墟に入って写真を撮らせていただくっていうのは、その建物や建物に関係した人たちに、感謝すべきことだものね。
…進入に緊張を伴う場合なんかは、挨拶を忘れちゃうんだけどね(^^;
てか、スーパーじいちゃんって(笑)
ユニークな知り合いがいるんだね♪
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